大念珠について

奉納の旅

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  • 最大のパワースポットへの奉納

瓶浦神社

浦島太郎伝説につながる「瓶」の存在。そして、日本神話に登場するスサノオと、鳴門の渦潮との「密接な関係」が徐々に明らかに。

「泳いでいると、突然に渦に飲み込まれ、辿りついたのは竜宮城だった…」

大念珠を製作した発端が「幼少時代の夢」だったように、数珠を奉納する旅がはじまったのも「不思議な夢」を見たことからでした。

夢に見た大きな渦。これは鳴門の渦潮ではないのか――。ある日の不思議な夢をこのように解釈した私は、友人らとともに、一路、鳴門へと向かうことにしました。2002年3月のことです。

神戸淡路鳴門自動車道・鳴門北インターを降りて渦潮方面へと向かう途中、大塚国際美術館が見えてきたが、このロケーションは、まるで竜宮城・・・ そして「瓶浦神社?」この名前を見た瞬間、私には、この「瓶」こそ、浦島太郎の物語に出てくる「亀」に思えてならなかったのです。

以下は、瓶浦神社の略縁起になります。

ここで気になるのが、「715年の縁起」であること。

岐阜県関市にある高賀神社も715年に由縁がありますが、時代背景から想像するに、同時期に各地で一斉に信仰がはじまったというよりはむしろ、藤原氏による新たな政権が誕生したことにより、以前の政権が信仰していたスサノオを中心とした神を715年までに封印、その後、政治を営む上で都合のよいアマテラスオオミカミを中心とした新たな信仰を流布していったと推察できます。

8世紀といえば、ちょうど日本書記が完成した時期と重なります。日本書記によれば、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那岐命(いざなみのみこと)の二神が、天の浮橋に立ち、天の沼矛でどろどろとした海をかきまわすと、その矛から滴り落ちる潮が固まり、島の形になったと伝えられています。二神は、その島に降り立ち、夫婦の契りを結んで国生みをされますが、はじめに造られたのが淡路島で、続いて大小さまざまな島を生んでいき、日本の国を造ったとされています。

日本書記にある、この「淡路から国を生む」という部分。
私には、実は鳴門から国ができたのではないかと思えてきたのです。

また、日本書紀では素戔男尊(スサノヲ・スサノオノミコト)、古事記では建速須佐之男命(たけはや/または、たけはやすさのおのみこと)、出雲国風土記では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)と呼ばれるスサノオ。三貴子の一人であるこのスサノオは、イザナミに遭うために黄泉国を訪れ、その後逃亡してきたイザナギの禊祓(みそぎはらえ)から生まれましたが、荒波は「ナミ」、静かな波は「ナギ」と呼ばれること、阿波で生まれたことなどから察するに、スサノオとはまさに鳴門の渦潮そのものを象徴しているのではないかと考えるようになりました。

実は、これを裏付けるような書物もあります。かつて新羅に元暁という僧侶がいましたが、その元暁が1300年前に記し、海中陵に封印された大変な予言書が、朴政権の時代に発見されています。その予言のなかには、715年~794年を境に1200年が経過すると、日本の神々が交代するという物語が記載されていたのです。

1994年。旧暦で数えて1995年の初頭といえば、甚大な被害を及ぼした1月17日の阪神・淡路大震災が発生した時と重なります。これは、元暁が予言した通り、1200年が経過して天地開闢が起きたことで神が復活したからではないか。さらに、この鳴門において、715年から794年にかけてスサノオが封印され、阪神・淡路大震災の日に、再びスサノオが復活したのではなないか。私はそんな風に思えてならないのです。

スサノオが封印された鳴門、そして瓶浦神社に、何としても数珠を奉納しなければならない。しかし、これほどの聖域に奉納をするためには、自らの身を清めなければならぬと考えた私は、その後、四国八十八箇所霊場を二度も巡礼して廻り、全国の神社を巡礼して歩いたのち、2004年、やっとの想いで瓶浦神社へ数珠(勾玉)を奉納するに至ったのでした。

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